境内探訪

水澤観音堂

本堂の脇を山側に進み石階段を上がりきると水澤観音堂があります。
この観音堂は、元々若澤寺中堂・救世殿だった建物を明治二十二年頃に移築したものです。

その救世殿は、延暦年間(七九〇年頃)坂上田村麻呂によって若澤寺に寄進されました。伝説によれば田村麻呂は賊を征伐するため水澤山に陣を置きました。無事、賊を退治することができた際に身につけていたこの千手観音像を安置するために救世殿を建立したとされます。観音堂には金亀多宝塔があり千手観音像が安置されています。
また堂内には、釈迦如来像、恵果阿闍梨像、弘法大師像なども安置されます。
現在の水澤観音堂は、旧観音堂が老朽化したため、昭和五十九年に改築されたものです。

金亀多宝塔

大海の波間に遊泳する金亀の背に多宝塔があり、全体が金箔の豪華な装飾で四方に四天王を配しています。四天王像裏には「京寺町五条上ル大仏師福田□□作」の銘が刻まれています。通常、千手観音像が安置されていますが、毎年五月二日の例大祭の折には水澤千手観音像が安置されます。

純金造 水澤千手観音像

田村麻呂は、この千手観音像を兜の前につけて戦ったと伝えられています。

純金造 水澤千手観音像
波田町指定文化財 江戸時代
純金造 水澤千手観音像

鐘楼

春、鐘楼脇の枝垂れ桜が満開の頃には毎年、多くの方が足を運ばれます。

木造不動明王像

波田町指定文化財 鎌倉時代

像高一六三センチメートル。
紅蓮の炎のような火炎光背に包まれ右手に利剣、左手に羂索(狩猟用の投げ縄)を持ち忿怒の形相で岩座に立っています。

月見布袋尊

江戸時代中期~後期

当山の月見布袋尊は、信州七福神に指定されています。布袋尊は、中国・唐の時代に実在した僧・布袋和尚に由来します。日本では、七福神の一人として人々に親しまれていますが、中国においては弥勒菩薩の化身であり、末法の世を救う存在とされています。

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